福島では毎年、東日本大震災がおきた3月11日を中心にSONG OF THE EARTH 311というフェスティバルが開催されています。
このフェスティバルは悲しい出来事を楽しみや喜びのなかに包み込み、未来へ伝承していけるよう、被災地で活動を続けてきたアーティストのライブを始め、福島県、新潟県、熊本県のフード・ワークショップ・アクティビティなどを楽しめるイベントです。
SONG OF THE EARTH 311を主催しているのは、東日本大震災がおきた当初から被災地支援を続けてきた一般社団法人LOVE FOR NIPPONです。(以下、LOVE FOR NIPPON)
ずっと東北に寄り添い活動を続けてきたLOVE FOR NIPPONの代表理事のCANDLE JUNE(キャンドル ジュン)さんに、今まで行ってきた活動と東北の今についてお話を伺いました。
moshimo ストック編集部(以下 編集部)-
CANDLE JUNEさんは東日本大震災の直後にLOVE FOR NIPPONを発足し、今も続けて被災地の支援をされています。
また、2017年からはSONG OF THE EARTH 311というイベントを毎年行っていますが、このイベントはどのような目的でされているのでしょうか?
CANDLE JUNE -
SONG OF THE EARTHはもともと新潟県中越地震の復興イベントとして始まったのですが、2017年から福島で行うことになりました。
日本のお祭り文化には、悲しみを喜びの中に内包しながら自然に捧げることで、地域に根付く風習や言い伝えを伝承していくという側面があると思います。SONG OF THE EARTH 311も被災地でおきたことを伝承するためのお祭りの1つとして開催しています。
SONG OF THE EARTHは、音楽イベントやフードショップのほか、福島各地のみなさんの想いとともにキャンドルを灯す「CANDLE 11TH(キャンドルイレブン)」、黙祷をした後に子どもたちの夢を書いた凧をあげる「3.11 夢の大凧あげ」、福島県双葉町のお祭り「双葉ダルマ市」のメインコンテンツである「巨大ダルマ引き合戦」などのイベントを行っています。
また、Facebook Japan、産地の「想い」とともに花を届ける仲卸の株式会社プランツパートナーと共創し、Meta日本公式Facebookページの特集「11年目の3.11を考える10日間」に寄せられたで「いいね!」などのリアクションやシェア、コメント数と同じ本数のお花を福島へ贈る「あなたのいいね!が花になる Flowers for 3.11」といったキャンペーンも行いました。(※届ける花の上限は3,110本)キャンペーン期間に全国の利用者からのリアクション、コメント、シェア数は計4,909にも上り、イベント当日に届けられた3,110本のお花は、福島県各地で活動を共にしてきたフラワーアーティスト・小林祐治氏が手掛けた約2mのフラワーゲートとして会場に展示されたほか、全国から届けられた被災地へ寄せる想いを具現化した花の一部を用いて、初の取り組みとなる、花を髪や身に着けてイベントをさらに楽しめるアイテムを制作するワークショップも開催しました。
このようなお祭りを楽しむイベントの他にも、環境省との取り組みとして、東日本大震災のこれまでを振り返り、これからの町づくりに活かしていくためのシンポジウムを2021年から始めました。
©SONG OF THE EARTH 311 -FUKUSHIMA 2022-
©SONG OF THE EARTH 311 -FUKUSHIMA 2022-
©SONG OF THE EARTH 311 -FUKUSHIMA 2022-
(提供:Facebook Japan)
編集部 -
「あなたのいいね!が花になる Flowers for 3.11」は、昨年の2021年にもmoshimo ストックで取り上げさせていただきました。
防災ニュース - "いいね!"の数だけ、東日本大震災の被災地へ花が届く「あなたのいいね!が花になる Flowers for 3.11」
(提供:Facebook Japan)
ソーシャルキャンペーン「あなたのいいね!が花になる Flowers for 3.11」は、昨年、今年と続けて行われていますが、フラワーゲートの展示は本当に美しく、ゲートの前では皆さん笑顔で写真を撮られているのが印象的です。
被災地から遠くにいる人の想いを形あるお花として被災地に届けることで、離れた人たちの想いを繋ぐことのできる、とても素敵な取り組みだと思います。
参加者からは「福島を想ってくれている人がこんなにいるのは嬉しいし、お花を見ると幸せな気分になる」「だれも一人では生きていけないから、みんなで協力して、つながりを作っていけるといい」といった声が寄せられています。
Meta日本公式Facebookページでの特集に「いいね!」をする人にとっても、東日本大震災の記憶を繋ぐことのできる、とても意義のある取り組みだと感じました。
CANDLE JUNE –
ある程度被災地の復興が進んでくると、物資提供をおこなうことがなくなってくるのですが、このお花を贈るということはとても良い面があると思います。
お花というのは少し特別な存在で、物質的な価値はあいまいだからこそ、人を喜ばせる力があると思います。
Facebook から「いいね!」をするだけで気軽に参加でき、その想いが実際にお花となって会場を彩るフラワーゲートになり、その前で写真を撮ってみんなが笑顔になる。その笑顔を「いいね!」をする人たちも想像ができるということが、とても幸せな関わり合いだと思いました。
その他にも Facebook が被災地で役立っている例があります。以前、新潟県の三条市で水害がおきたことがあり、災害に関する情報共有のためにFacebookグループが立ち上がったのですが、それが数年経った今でも生きていて、災害がおこる度に道路や停電の状況などが共有されるコミュニティになっているそうです。自然発生的に作られたグループが、時代が変わっても使い続けられるというのは、とても良いことだと感じました。
また、先日も地震によって宮城でボランティアセンターを立ち上げるかが検討されていた時に組織のサーバーが落ちてしまったのですが、急遽Facebookグループで確認ができるように活用されたということもありました。
Facebookは高齢の方も使っていることが多く、それぞれがコメントのやりとりができるので、災害時によく利用されるのを目にします。
編集部 –
東日本大震災からずっと福島の支援をされてきたLOVE FOR NIPPON ですが、活動を通じて経験されてきた、震災から現在までの様子についてお伺いできればと思います。
震災がおきてからすぐにLOVE FOR NIPPON を発足されたそうですが、当初はどんな活動をされていましたか?また、現在はどのような活動に変わってきているのでしょうか?
CANDLE JUNE -
私は東日本大震災よりも前に新潟県中越地震やハイチ地震でも支援活動を行っており、それが東日本大震災での活動にもつながっています。
東日本大震災では当初たくさんの協力が得られましたが、集まった人それぞれの職業を活かし、得意分野を活かした仕事で被災地に関われるような形をとりました。
私が直接現地に入り、被災された方々のニーズを確認しながら、それに答えていく形で支援を行うようにしています。
自治体などの組織を介して支援をすると、それぞれ決められたルールや枠組みによって活動内容が制限されてしまうため、被災者と直接コミュニケーションをとることが重要だと考えています。
例えば、被災者の自立を促すために、炊き出しや物資提供を行う期間が決められることがあります。また、新潟地震以降の災害地では、借り上げ住宅が一般的になり、仮設住宅には地域ごとの入居ではなくなり、高齢者や障害者などが多くなっています。若い家族がおらず、ばらばらな入居のため、自治会も機能し辛く、取り残されてしまいます。高齢者に対して「自立を促す」という言葉は難しく思います。私たちは直接被災された方々との会話を続け、自治会の承諾を得つつ活動を続けるようにしています。そのため、私自身はいろいろな避難所や仮設住宅にうかがって話をすることに注力し、そこで生まれたニーズを支援側のニーズとマッチさせるようにしています。
このように被災者と支援者を直接つなげることで、支援者が被災者のことをより深く知り、自分たちの防災意識を高めたり、足の長い支援活動ができるようになっています。
編集部 –
やはり、自治体は全体の公平性を重視するためルールが複雑になり、個別のケースに寄り添った活動がされにくいという話もお聞きします。
LOVE FOR NIPPONは東日本大震災より前から活動を行ってきたこともあり、長い活動の中での経験によって、被災者と直接コミュニケーションをとり、さまざまなケースに寄り添った支援を行えているように感じました。
CANDLE JUNE –
実際、東日本大震災の直後に、阪神・淡路大震災の経験者がボランティアとして駆けつけていました。自身が災害を経験した後に、各地でボランティアをされている方が多くおり、みなさん被災地で活躍されています。
このような大きな組織に所属しない方々が個別に活動を行うことには理由があります。これまでの経験を活かすことができていればいいのですが、なかなか難しいことを知っている方々がスーパーボランティア戦士になっていきます。各地で災害が多発しているので、そんな方々が全国に増えていることはとても素晴らしいことですが、一方ですべて自己完結しなければいけない的なイメージも生まれています。現地への配慮はとても大切ですが、閉鎖的な形になってしまうこともあります。災害時におけるプロのアクションをもっと推奨し、組織化してより幅広い入り口をつくり、それぞれの活動が長期的にできる形へと進化させることが必要だと感じています。
大きな組織が被災地支援を行う場合、ある一定の期間で計画が作られます。それぞれの活動なので横の連携はむずかしく、心のケア的な部分まで引き継がれないケースが多くなっています。
また、別の地域で災害が発生すると、そちらにも先遣隊が行くことになり、以前の活動地での支援が途絶えてしまうことあります。
自分たちができなくても連携できているところや、引き継ぎができるような形作りが必要だと思います。それらを行政が長期的に発注できるようなシステムが今後できあがり、予算確保もさまざまな入り口からできることが望まれます。
それぞれの団体が寄付を募り活動を続けている形だと、予算がなくなったら活動ができなくなります。
被災した街がその活動を必要とするならば、予算が街から出る形としっかりと活動の中身もみることができるような形ができるべきかと思います。
先日(2022年3月16日)に福島県で地震がおきました。最大震度6強の大地震だったのですが、大きな地震が繰り返しおこることに慣れてしまっているように思います。
過去の震災経験から助けを借りず、現地の人たちの手で復旧をされていますが、度重なる被害によって疲弊して心の病にかかってしまわれる方もいます。町もそこまで大きく取り上げず、ボランティアセンターを立ち上げなかったり、義援金や寄付募集なども行わない地域が増えています。SDGsなどが世界的に叫ばれているなかで、「なんとか自分できる人たち」を基準に考えてしまう傾向は、逆行しているように思います。
もっともっと災害が発生した際にはしっかりと被災状況を把握し、発信した上で、様々な対処を行うことができる体制を行政や社会福祉協議会以外で作るべきだと思います。
このようにいまだ残されている問題や、あらたな問題、そしてこれまでの支援活動について長期的な振り返りをおこない、そこからの学びを次に活かすことが不足しているようにも思います。そのために、SONG OF THE EARTH 311ではさまざまな人を集ってシンポジウムを行うこととなりました。
前編ではLOVE FOR NIPPONが福島で行ってきた活動についてお聞きしました。
後編では、震災当時と比べて変わってきた福島の現在の様子や、LOVE FOR NIPPONが行う未来のための活動について、引き続きお伺いします。
LOVE FOR NIPPON 東日本大震災から11年の取り組み (後編)
一般社団法人LOVE FOR NIPPON
SONG OF THE EARTH 311 - FUKUSHIMA 2022-
CANDLE JUNE