町内のほぼ全ての家屋が被害にあい、町内全域の停電などインフラが大きく停止するなど、想定を大きく超える災害による混乱に対処するため、益城町はどのように災害対応をしていったのか、また、住民の避難はどのような状況だったのでしょうか。当時の様子を紹介いたします。
災害対策本部
4月14日の前震により町本庁舎が被災したことにより、商用電源と非常用電源がともに停止、通信回線も使用できず、事務機器なども破損してしまいます。そのため、代わりとなる施設の調査を行い、電源や通信施設が被災していなかった町保健福祉センターに災害対策本部を設置しました。
また、被害が甚大な町中心部への対応を迅速に行うため、町本庁舎の駐車場に現地対策本部を設置し対応に当たりました。
被災直後には、職員が避難所業務などに追われたため、災害対策本部では人員不足となってしまいます。そのため、全ての判断が災害対策本部長(町長)に集中し、庁内部署間や外部機関との調整や、情報分析に十分な時間を割くことができず、本部の機能が麻痺してしまいました。
このような状況を受けて、4月25日から下の図の通り、各課等長、各班長およびプロジェクトチーム代表者による新たな災害対策本部組織を整備し、担当業務の見直しを行います。
この体制の変更が功を奏し、災害対策の業務のスピードが大幅に改善することとなりました。
(引用:平成28年熊本地震 益城町震災記録誌)
応援の受け入れ調整
熊本地震当時は、応援要請計画、受援計画が未整備であったため、当初は他自治体からの応援職員の受け入れ調整は、関西広域連合※に依頼を行いました。
その後5月からは、都道府県職員については関西広域連合、市町村職員については県職員に依頼し、分担をして対応を進めました。
しかし、市町村の災害業務に卓越した専門知識のある職員を、交通整理や清掃業務に従事させるなどの問題が発生しています。
各方面からのプッシュ型支援に対して、適切な人員配置が出来ておらず、「事前に応援職員の履歴票や職歴等を把握した上で、人員配置を実施すべき」との意見がありました。
※関西広域連合(かんさいこういきれんごう)とは、府県を超えて協力が必要な事務を共同で行ったり、救急医療の連携や防災などのための課題に取り組むために、関西の8府県により設立された団体のこと。
町の業務継続のための環境整備
熊本地震当時は、事業継続計画が策定されておらず、場当たり的に代替庁舎や、災害時における優先業務を決定することとなったため、通常業務が停滞していました。
また発災当初、避難所となっていた町保健福祉センターに災害対策本部を設置せざるを得ない状況となり混乱をしたため、今後の課題として業務継続のための環境整備を行う必要性がありました。
避難所の状況
4月14日 前震発生直後
9カ所の指定避難所を開設し、約2,000人の方が指定避難所に避難をしました。
また、余震が続いていたため、自宅に留まることを恐れた人たちが、車内や自宅庭先、畑のビニールハウス、近所の公園など、屋外に避難する人が多数発生していたことが確認されています。
社内に避難する人の様子(提供:益城町)
4月16日 本震発生後
本震発生に伴い避難者が急増。4月16日夜から17日朝にかけて、10カ所の指定避難所施設内および指定避難所駐車場に避難した人は約16,050人となりました。
これは、益城町地域防災計画の想定(7,200人)を遥かに超える避難者数となったため、避難所に入れない避難者も多く、大混乱をきたしました。
特に、町保健福祉センターには、町内全域から避難者が集まり、会議室等だけでなく、ロビーや通路、屋外の軒下、階段の踊り場まで、避難者で溢れかえることとなりました。
また、一般の避難所に加えて、特に高齢者、障害者、乳幼児、その他の配慮が必要な方のための、福祉避難所の数が足りなくなりました。
地震前から福祉避難所として指定されていた施設はありましたが、地震による被害でほとんどが使用できない状況となります。そのため、益城町周辺の地図から避難所として利用できる施設を探し、所有する企業などに連絡、お願いをしながら、新たに避難所を増やすこととなりました。