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震災に思う...語り継ぐ③ 10年経って

「人」を映し出す津波映像

東日本大震災から10年が過ぎました。テレビや新聞では「記念日」の特集が組まれ、この時期だけは日本中があの大震災(「津災」※1 という文字を当てた人もいます )を思って過ごしたと思います。
防災を進めるためには、記念日だけの特集ではなく日々の報道の中に防災をちりばめる方が有効だと思いますが、これだけ情報があふれ返っている社会では、記念日でないと報道できないというマスコミの主張も、残念だけれども事実かなと思います。

今年のテレビ報道では津波のリアルな映像が多いと感じました。統計を取っていないのであくまでも印象ですが、津波にのまれそうになりながらも、そこから何とか逃げきった方の体験をもとに構成された番組がいくつかありました。その人が映っている映像やその人が撮影した映像を紹介し、九死に一生を得た事実とそのプロセスを伝えることで、津波の恐ろしさや防災の知識と臨機応変の判断の大切さを伝えたかったのでしょうか。「人」が映っている津波映像がこれだけ多く流されたことに少し驚きました。
このような映像は、津波を体験した人にとっては、あの時を思い出す辛い映像だったと思います。初めてそのような映像を見る人も、映像に自分を重ね合わせて恐ろしくなったかも知れません。
テレビでは、これから津波の映像を流すという内容のテロップを流します。体験者のフラッシュバックを防止や視聴者の恐怖の軽減が目的なのでしょう。だったらそんな映像を流さなければいいのにと思う反面、物語の構成上、映像は不可欠だとか、リアルな映像が津波の恐ろしさを伝え視聴者の防災意識を高めると言われれば、なるほどそうかなと納得しそうになります。

でも、テレビのなかった時代にも津波の教訓が伝えられてきた事実はあります。映像でなくても伝える方法は他にもあるはずです。
それは、心に残った「語り」の記録と発信ではないでしょうか。

※1 「津災」 現在、南三陸町立歌津中学校に努める佐藤公治教諭が作った言葉。

未来の念頭に置いた防災教育

東日本大震災の被災地で防災教育に関わってこられた方々と10年を振り返る話をする機会が何度かありました。

最初の5年はずっとこどもたちのケアを考えていました。後半の5年は津波の記憶を持たないこどもや震災後生まれのこどもが入学してきて、そのこどもたちに震災前の町をどう伝え、津波の教訓をどう継承していくかを考えていました。
でも今考えると、災害を生き抜く方法を教えていなかった気がします。心のケアと教訓の継承だけではなく、津波を理解し、どう対処するかを教えていないと、次の津波でまた被害を受けるかもしれません。
この10年、その教育が浅かったかもしれないと思います。
「災間を生きる」※2 という言葉があります。繰り返し津波に襲われてきた三陸の人々には理解しやすい言葉でしょう。人々は、災害の後を生きていますが、それは同時に、次の災害の前を生きているのです。私たちは災害と災害の間を生きているという意識を忘れないで欲しいと震災直後に呼び掛けた卓見には脱帽します。そして、災間を生きている以上、次の災害への学びは必要です。この10年、そこに十分にとりくめたわけではなかったと、何人もの先生方がおっしゃいました。

※2 「災間を生きる」 震災当時、宮城県石巻西高校の教頭で、避難所運営の先頭に立ち、その後校長として教育復興の尽力された齋藤幸男氏が作った表現。「生かされて生きる」(河北選書)、「声なき声をつむぐ」(学而出版)など。

「ふるさと」って何だろう

この10年は、災害体験を「伝える」という部分を超えられていません。まだ、伝承のステップを越えて次に行けないのです。
伝承だけがクローズアップされると、「知らないことが悪い」というとらえ方をする人が出てきます。「知らないことは恥ずかしい」と思う人もいます。でも、震災を直接知っているわけではない世代がこの10年分います。津波の記憶はなく、生まれて最初の記憶は瓦礫だらけのまち、かさ上げ工事の風景だけれど、そんなまちへの愛着が大きいこどももいます。あの津波の伝承では辛く悲しいイメージのがれきだけど、そういう感情を実体験として持たない世代のこどももいます。そのこどもたちの気持ちに気づいてあげられないまま、災害=悪という伝え方をしていたいいのか、自問しています。
原発事故でふるさとを追われた方々もそうです。ふるさとに帰りたいと願っているのは、ふるさとを持つ大人です。避難後に生まれた世代は、避難先がふるさとです。親の世代、祖父母の世代のまちに戻っていくことは、そのこどもたちにとっては自分の慣れ親しんだふるさとを出ていくことなのかも知れません。
震災は、ふるさとの様相を変えてしまいました。そして、世代間のふるさと意識にも違いを生み出してしまいました。命や財産を奪う災害の、もう一つの恐ろしさだと思います。

災害体験の語りは、持つ者から持たない者への発信です。でも、被災地で被災体験を持たない者が持つ被災地への思いも理解し、発信しなければならないと、10年目に考えさせられました。

この記事を書いた人

諏訪 清二

全国初の防災専門学科 兵庫県立舞子高校環境防災科の開設時より科長を務め、東日本大震災をはじめとする国内外の被災地でも生徒とともにボランティアや被災者との交流に従事。
防災教育の第一人者として文部科学省「東日本大震災を受けた防災教育・防災管理等に関する有識者会議」など、防災教育関連の委員を務める。

2017年4月から防災学習アドバイザー・コラボラレーターとして活動開始。
学校での防災学習の支援活動を中心に、防災学習、災害、ボランティア、語り継ぎなどのテーマで講演活動も。
中国四川省、ネパール、スリランカ、モンゴル、エルサルバドルをはじめ、海外各地でも防災教育のプロジェクトに関わってきた。

2017年度~ 神戸学院大学現代社会学部 非常勤講師 / 兵庫県立大学 特任教授(大学院減災復興政策研究科)
2018年度~ 関西国際大学セーフティマネジメント研究科 客員研究員
2020年度~ 大阪国際大学短期大学部 非常勤講師
2021年度~ 神戸女子大学 非常勤講師 / 桃山学院教育大学 非常勤講師

【著書】
防災教育のテッパン――本気で防災教育を始めよう
防災教育の不思議な力――子ども・学校・地域を変える
高校生、災害と向き合う――舞子高等学校環境防災科の10年
※こちらの書籍は、現在電子書籍での販売となります。

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